2020年03月19日
あれから12年:還暦中学同窓会@大宮
11月中旬 土曜日 雨
何だろうか、複雑な心境。
12年ぶりに開かれる中学校の同窓会。
2006年のあの日、自分のブログを書き綴ろうと決心をした日のことがよみがえります。
あの当時12年後?という漠然とした不確実な未来を想像していましたが、今日現実となっての12年後の同窓会の日です。
12年という連日投稿を頑張ってきましたが、ここで終わらせるとなんだか目標を失ってしまうような複雑な気持ちです、、、
あの日と同じように朝起きると外は小雨交じり、下手をすればこの時期みぞれ交じりでもおかしくないような雲行きだ。
日本海特有の冬型の気圧配置で西寄りの風が強く吹き、重く垂れこめた雲がひっきりなしに窓から見える上空を通り過ぎてゆく。
前回の時もそうだったかか? 前日飲み会だったような遠い記憶。
この日も前日に飲み会があり、あまり飲まないようにセーブしてはいたものの帰宅は23時半頃に。
5時頃に一回目が覚めたが、外は相当な雨脚で雨が降っていて2度寝。
8時頃に一回布団から出て自分の部屋のPCの電源を入れて画面をのぞき込んではみたものの寒くてまた布団に潜り込んでしまった。
どうも気分が盛り上がらず、暖かい布団の中でむやみに時を過ごしてしまう。
結局二日酔いでちゃんと起きたのは10時頃でした。
昼頃を過ぎても雨脚は一層強まるばかり。
外を覗くと今一の天気。
前日の天気予報では13時も過ぎれば雨も上がって自転車で駅に向かうことができるかとタカをくくっていたが、実際14時頃までかなりの雨が降っていた。
それでも14時15分頃には雨が一旦上がり、西の空も明るくなったので駅位までは雨がふらなそうだったので、一気に自転車を漕いで駅に向かうことに。
駅には35分には到着。
ミドリの窓口が混んでいたが、こちらも少しは余裕があったので並んで往復乗車券と自由席、帰りは大宮乗車だったので座れないと悪いので指定席乗車券を購入。
最終新幹線に乗り遅れると悲惨な目に合うので、帰りは一つ前の新幹線の指定席を購入。
大宮には16時35分着。
受付開始が16時40分ということで余裕で駅そばの会場へ。
まだ入り口付近には旧友の顔はない。
そうこうして入り口でブラブラしていたら同級生の姿を見つけ一緒に入る。
彼は病気のことをひた隠しにしていたががんを患い昨年9月に手術を受けたらしく、その後抗がん剤が体に合わなくて肝障害を起こして大変な目にあったとのこと。
人の人生はいろいろです。
時間になり還暦同窓会が始まり、いろんな顔が見え、なかなか12年前の記憶とつながらず名前と顔が一致せず困りましたが、こちら以上に慣れ親しい呼び方で声をかけてくれる同窓生もいて、それなりになじむことができました。
意外に自分の近くに会社の関係で住んでいたことがあったとか、面白い話が聞かれました。
忘れていたが同級生で、卒業旅行で一緒に三宅島にユースホステルを利用して自転車旅行をした友達などと会い懐かしい記憶がよみがえりました。
それと小学校の頃よく学校帰りに一緒にプールに通った仲間などにも声をかけられたが、、、あまり記憶にない、、、、
ごめんなさい。
自分の記憶がいかに貧困かということを感じた次第です。
自分以上にいろんなことを覚えてくれている人がいるものだということを実感しました。
お世話になった担任の先生が二人ほど参加していましたが、今となっては45年位前の話で近所のお爺さんとなぜか通じる話をしている不思議感に捉われました。
なんだかこの1週間ほどマチネの終わりを読み始めて、面白い小説とは思いつつ、気持ちが高揚するというより、妙に沈むというか物憂げな雰囲気に包まれる内容で、今日の12年ぶりの同窓会と重なったことが偶然のような必然のような感覚になりました。
2次会に移り、組同士の仲間が集まるような形の自由なテーブル席。
そこそこ会話も弾む。
懐かしい面影の残る顔、、、しかし名前が出てこない、、、名札が見える瞬間を逃さずとらえ、それから頭の中で整理作業、、、
なかなか遠い記憶を紡ぐのは大変です。
もう新幹線に乗る時間と21時に席を立ったが、他のクラスの人から声を掛けられ捕まってしまい、ものすごい情報量を含んだ話をお持ちかけられたましたが、こちらも時間がなく話もそこそこに会場を後にして、なんとか21時18分の新幹線に乗ることができました。
本当はもっと話をしていたかったのですが、、、
新潟について23時丁度位。
楽しくもなんだかこれからの人生、12年前には一緒に杯をかわした親しい友も二人亡くなり、だんだんと同級生が少なくなる寂しさを感じた次第です。
何だろうか、複雑な心境。
12年ぶりに開かれる中学校の同窓会。
2006年のあの日、自分のブログを書き綴ろうと決心をした日のことがよみがえります。
あの当時12年後?という漠然とした不確実な未来を想像していましたが、今日現実となっての12年後の同窓会の日です。
12年という連日投稿を頑張ってきましたが、ここで終わらせるとなんだか目標を失ってしまうような複雑な気持ちです、、、
あの日と同じように朝起きると外は小雨交じり、下手をすればこの時期みぞれ交じりでもおかしくないような雲行きだ。
日本海特有の冬型の気圧配置で西寄りの風が強く吹き、重く垂れこめた雲がひっきりなしに窓から見える上空を通り過ぎてゆく。
前回の時もそうだったかか? 前日飲み会だったような遠い記憶。
この日も前日に飲み会があり、あまり飲まないようにセーブしてはいたものの帰宅は23時半頃に。
5時頃に一回目が覚めたが、外は相当な雨脚で雨が降っていて2度寝。
8時頃に一回布団から出て自分の部屋のPCの電源を入れて画面をのぞき込んではみたものの寒くてまた布団に潜り込んでしまった。
どうも気分が盛り上がらず、暖かい布団の中でむやみに時を過ごしてしまう。
結局二日酔いでちゃんと起きたのは10時頃でした。
昼頃を過ぎても雨脚は一層強まるばかり。
外を覗くと今一の天気。
前日の天気予報では13時も過ぎれば雨も上がって自転車で駅に向かうことができるかとタカをくくっていたが、実際14時頃までかなりの雨が降っていた。
それでも14時15分頃には雨が一旦上がり、西の空も明るくなったので駅位までは雨がふらなそうだったので、一気に自転車を漕いで駅に向かうことに。
駅には35分には到着。
ミドリの窓口が混んでいたが、こちらも少しは余裕があったので並んで往復乗車券と自由席、帰りは大宮乗車だったので座れないと悪いので指定席乗車券を購入。
最終新幹線に乗り遅れると悲惨な目に合うので、帰りは一つ前の新幹線の指定席を購入。
大宮には16時35分着。
受付開始が16時40分ということで余裕で駅そばの会場へ。
まだ入り口付近には旧友の顔はない。
そうこうして入り口でブラブラしていたら同級生の姿を見つけ一緒に入る。
彼は病気のことをひた隠しにしていたががんを患い昨年9月に手術を受けたらしく、その後抗がん剤が体に合わなくて肝障害を起こして大変な目にあったとのこと。
人の人生はいろいろです。
時間になり還暦同窓会が始まり、いろんな顔が見え、なかなか12年前の記憶とつながらず名前と顔が一致せず困りましたが、こちら以上に慣れ親しい呼び方で声をかけてくれる同窓生もいて、それなりになじむことができました。
意外に自分の近くに会社の関係で住んでいたことがあったとか、面白い話が聞かれました。
忘れていたが同級生で、卒業旅行で一緒に三宅島にユースホステルを利用して自転車旅行をした友達などと会い懐かしい記憶がよみがえりました。
それと小学校の頃よく学校帰りに一緒にプールに通った仲間などにも声をかけられたが、、、あまり記憶にない、、、、
ごめんなさい。
自分の記憶がいかに貧困かということを感じた次第です。
自分以上にいろんなことを覚えてくれている人がいるものだということを実感しました。
お世話になった担任の先生が二人ほど参加していましたが、今となっては45年位前の話で近所のお爺さんとなぜか通じる話をしている不思議感に捉われました。
なんだかこの1週間ほどマチネの終わりを読み始めて、面白い小説とは思いつつ、気持ちが高揚するというより、妙に沈むというか物憂げな雰囲気に包まれる内容で、今日の12年ぶりの同窓会と重なったことが偶然のような必然のような感覚になりました。
2次会に移り、組同士の仲間が集まるような形の自由なテーブル席。
そこそこ会話も弾む。
懐かしい面影の残る顔、、、しかし名前が出てこない、、、名札が見える瞬間を逃さずとらえ、それから頭の中で整理作業、、、
なかなか遠い記憶を紡ぐのは大変です。
もう新幹線に乗る時間と21時に席を立ったが、他のクラスの人から声を掛けられ捕まってしまい、ものすごい情報量を含んだ話をお持ちかけられたましたが、こちらも時間がなく話もそこそこに会場を後にして、なんとか21時18分の新幹線に乗ることができました。
本当はもっと話をしていたかったのですが、、、
新潟について23時丁度位。
楽しくもなんだかこれからの人生、12年前には一緒に杯をかわした親しい友も二人亡くなり、だんだんと同級生が少なくなる寂しさを感じた次第です。
Posted by Zen at 23:51│Comments(0)
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