2018年01月09日
清瀬から多摩全生園へ:晩秋の早朝ランニング@清瀬
今回の清瀬の研修、ひどい二日酔いの1日を除いて、毎朝早朝ランニングをしました。
そんな中の1日、この日は以前紹介したことのあるハンセン病資料館と多摩全生園に早朝ランニングに出かけました。
想えばその昔、結核やらい病(ハンセン病)が流行っていたころは現在の東京都は東京府と呼ばれていて、このような病気の行政の隔離・治療施設は東京府の端の方に作られました。
地図を見ると分かりますがそんな名残で、結核治療のメッカだった清瀬とハンセン病資料館・多摩全生園とは2km程しか離れていません。

以前紹介した頃は7月でしたが、すっかり秋も深まり落葉が地面に。

全生園の中を走っていたら、7時頃でしたが園内の住宅を1件づつ回りながら配膳車が朝食を配っていました。
一人で未だにこのような施設で生活している人たちのことを考えると気の毒ですね。

全生園の人たちが、自分たちの手で作った神社。
参拝させていただきました。

全生園内にある図書館と床屋さんが入った建物。
昔は一旦施設に収容されると、二度と俗世に出ることのできなかった収容施設、、、
その中で自分たちの日常生活のために精神的に必要な色々な施設も作られました。
今回紹介したのはそんな遺構の中のいくつかでした。
いろいろ何不自由なく生活している我々ですが、時代背景によっては満足に人としての生活が保障されない時期を生きた人たちの切なさを感じる全生園の早朝ランニングでした。

そんな中の1日、この日は以前紹介したことのあるハンセン病資料館と多摩全生園に早朝ランニングに出かけました。
想えばその昔、結核やらい病(ハンセン病)が流行っていたころは現在の東京都は東京府と呼ばれていて、このような病気の行政の隔離・治療施設は東京府の端の方に作られました。
地図を見ると分かりますがそんな名残で、結核治療のメッカだった清瀬とハンセン病資料館・多摩全生園とは2km程しか離れていません。

以前紹介した頃は7月でしたが、すっかり秋も深まり落葉が地面に。

全生園の中を走っていたら、7時頃でしたが園内の住宅を1件づつ回りながら配膳車が朝食を配っていました。
一人で未だにこのような施設で生活している人たちのことを考えると気の毒ですね。

全生園の人たちが、自分たちの手で作った神社。
参拝させていただきました。

全生園内にある図書館と床屋さんが入った建物。
昔は一旦施設に収容されると、二度と俗世に出ることのできなかった収容施設、、、
その中で自分たちの日常生活のために精神的に必要な色々な施設も作られました。
今回紹介したのはそんな遺構の中のいくつかでした。
いろいろ何不自由なく生活している我々ですが、時代背景によっては満足に人としての生活が保障されない時期を生きた人たちの切なさを感じる全生園の早朝ランニングでした。