2019年01月05日
驚き!日本初のモールス通信と島津斉彬:2度目の城山ランニング@鹿児島
11月2日
一旦ホテルの戻って、少し時間があったので、2度目の城山山頂ランニングへ出掛けることにしました。

鹿児島県立博物館脇を通って城山の麓へ
照国神社の脇に探勝園という庭園があるのですが、入口に在った看板を見たら

なんと! 島津斉彬公は日本で初めてモールス通信の実験を1857年にこの探勝園と鶴丸城(鹿児島城)の間でやったのだそうです。
大政奉還が1867年ですから、その10年も前の事です。
アマチュア無線家として、とても興味をそそられると同時に、井伊直弼の安政の大獄が1858年ですが尊王攘夷だの倒幕だのと騒いでいた頃に、西洋の先進文化に目を向けて必死に取り入れようとしていた島津斉彬公には先見の目が有りますね。

こちらは島津久光像

山頂に向かう城山自然遊歩道の入り口には、
この付近でイノシシ出没の情報がありました。ご注意ください。
と書かれた看板が立っていました。
イノシシに突然、襲われたら怖いですね、、、
山頂に着くとまだ売店は開いてました。

店の前にあった西郷さんの写真撮影用の顔抜きで、近くにいた観光客の方に写真を撮ってもらいました。
ついでに桜島もバックに1枚

天気も良く、素晴らしい桜島と鹿児島市街の風景です。
その後前回とは反対側に向かい、城山ホテルの脇を通って山を下って先日走った甲突川に向うと、、、
鹿児島市の木の市というのをやってました。

もうすぐ日暮れ、店じまいの様相です。

こちら、大久保利通公の像。
日暮れ前にホテルに無時たどり着くことが出来ました。
さてこの日は11月2日、鹿児島のおはら祭りが開幕です。
一旦ホテルの戻って、少し時間があったので、2度目の城山山頂ランニングへ出掛けることにしました。

鹿児島県立博物館脇を通って城山の麓へ
照国神社の脇に探勝園という庭園があるのですが、入口に在った看板を見たら


なんと! 島津斉彬公は日本で初めてモールス通信の実験を1857年にこの探勝園と鶴丸城(鹿児島城)の間でやったのだそうです。
大政奉還が1867年ですから、その10年も前の事です。
アマチュア無線家として、とても興味をそそられると同時に、井伊直弼の安政の大獄が1858年ですが尊王攘夷だの倒幕だのと騒いでいた頃に、西洋の先進文化に目を向けて必死に取り入れようとしていた島津斉彬公には先見の目が有りますね。

こちらは島津久光像

山頂に向かう城山自然遊歩道の入り口には、
この付近でイノシシ出没の情報がありました。ご注意ください。
と書かれた看板が立っていました。
イノシシに突然、襲われたら怖いですね、、、
山頂に着くとまだ売店は開いてました。

店の前にあった西郷さんの写真撮影用の顔抜きで、近くにいた観光客の方に写真を撮ってもらいました。
ついでに桜島もバックに1枚

天気も良く、素晴らしい桜島と鹿児島市街の風景です。
その後前回とは反対側に向かい、城山ホテルの脇を通って山を下って先日走った甲突川に向うと、、、
鹿児島市の木の市というのをやってました。

もうすぐ日暮れ、店じまいの様相です。

こちら、大久保利通公の像。
日暮れ前にホテルに無時たどり着くことが出来ました。
さてこの日は11月2日、鹿児島のおはら祭りが開幕です。